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長崎への原子爆弾投下時に、アルコールを飲んで助かったという話があります。
その中で、長崎医大病院で被爆した調来助教授の書籍を確認できました。
有用と思われる部分について、引用します。

アルコールを飲んだ部分は、記載が2か所あります。
長いので、2か所めは別コンテンツ(アルコール(長崎被爆者 調来助氏の生存2))にします。

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書籍を確認した結論としては、放射線障害の低減に、アルコールや日本酒などの酒が効果的である可能性はやはり高いと思います。

ただし、別コンテンツ(広島被爆者の生存(日本酒))でも書きましたが、その効果がどういったメカニズムで効くのかは不明ですので、まあ効いたらいいくらいの気持ちでいたほうがいいでしょう。

生存を考える上では、大人限定になりますが、ときどき飲むとよいのではと考えます。そして、アルコールを飲むのはまずいと思いますので、やはり日本酒がいいのではないかと思います。

なお、筆者がお勧めしたいのは、大人でも子どもでも食べられる、酒粕を使った料理です。子どもには、アルコール分を飛ばせばよいので、筆者も時々、味噌汁に投入して使っています。
ただ、アルコール分はほとんど飛んでしまっているので、効果がどれくらいあるのかは分からなくなりますが…。

調来助教授は、長崎医科大学の病院の教授室の2階、爆心地から700メートル前後のところで被爆したそうです。

別コンテンツ(アルコール(長崎被爆者の生存))でも書いていますが、長崎大学原爆後障害医療研究所の資料収集保存・解析部に掲載されている長崎原子爆弾の医学的影響を見ると、長崎では1km以内で被爆した人のうち、無傷でも94.1%、外傷を負った者の96.9%、熱傷を負った者の96.7%が初期段階で死亡しています。

長崎の写真1

調教授は、8月16日に長男を亡くし、8月28日には次男も死んだことがはっきりして、がっかりしていたそうです。

以下、「医師の証言 長崎原爆体験 調来助、吉澤康雄 著 東京大学出版会」より引用します。1か所めです。

調 中略 ― そうこうしているうちに、私自身が少し怪しくなって来たんです。

吉沢 いつごろから。

調 八月末ごろからです。九月二日に二キロぐらいの所から往診を頼まれたので行きましたが、歩くのがやっとで、二キロの道が一時間余りかかったことを憶えています。その翌日の三日には、大学から緊急会議があるから来るようにという伝達があったので、娘に付き添われて出席しましたが、道ノ尾駅までそろそろ歩き、そこから汽車に乗り、長崎駅からまた一キロばかり歩きましたが、十メートルほど先を歩いている筬島助教授にどうしても追い付けず、呼びかけようとしても声が出ないで、とうとう同じ間隔を保ちながら、商工会議所内にある大学本部に辿りつきました。会議がすんでまた娘と歩いて帰りましたが、それっきり寝ついてしまって、起きられなくなったんです。

それから一カ月、全身倦怠がひどくて、大声で話すことも出来ない。食欲は全然ないというわけではなく、熱も三十七度前後だったように思います。しかし上腕部と大腿に小さな出血斑が沢山あるのを見て、びっくりしました。そして今度は自分が死ぬ番だと、一時は覚悟をきめていました。

九月十六日ごろ、復員して帰ってきた藤井君が訪ねてくれて、血球計算をやってくれたんですが、赤血球が三百五十万、白血球が二千四百でした。でもそのころは病気が少しよくなっていましたから、もっとひどい時は、千ぐらいではなかったかと思います。

中略

調 私が大村海軍病院に行ったのは九月二十六日ですが、バスで行きました。

吉沢 それは患者として…。

調 患者としてではなく、大村へ集まれという指令があったから行ったのです。

吉沢 そのときは自分の病気のことよりも、医者として行かれたわけですか。

調 医者として行きました。それに教授として学生の教育もせねばなりませんしね…。そのころは私の病気も大分良くなっていたとみえて、アメリカの軍医に検査してもらった時は、赤血球は四百万を超えていたし、白血球も少し増加していたので、大変早く良くなったものだなと思いました。

ところがその前にこういうことがあるんです。私がひどく弱って寝ていた時に、香田という学生がやって来て、「先生、一晩泊めて下さい」というので、「いいよ、息子たちが亡くなったし、寂しいから…」と言ったんです。すると香田君が、私の所に疎開してあったアルコールを見付け出して、「先生、これを飲んでもいいですか」「知らんぞ、メチルだったら死ぬかも知れんぞ」「いや、大丈夫です。エチルだから…。先生も一杯いかがですか」「おれは肝臓をやられているに違いないから、飲んだら駄目だろう」「いや、元気が出ますよ」と余りいうので、小さなブドウ酒のコップに半分入れて、一緒に疎開してあったブドウ糖のアンプルを切り、半々ぐらいに薄めて飲ませてくれたんです。それを飲んだら急に元気が出ましてね。今まで話すのもいやだ、うるさいと思っていたのが、いくらでも話せるようになったので、これはいいなと思って、それから朝と晩に一杯ずつ飲みましたが、そのために回復が早かったんじゃないかと思ったんです。(笑い)

というのは、後で聞いたんですが、アルコールで助かったというのが随分いるんです。これは島原のあるお医者さんの話ですが、瀕死の状態にあった患者が、「私はどうせ死ぬのだから、好きな酒を一杯飲ませて下さい」というので、末期の酒と思って飲ませたら、それからだんだん元気になって助かったというんです。(笑い)

吉沢 われわれの放射線障害の研究領域でも、どうもアルコールは効くんじゃないかなんていう意見はあるんです。

調 耳鼻科の長谷川教授は弱って天草の下田温泉に行っていたんですが、一、二カ月後に帰って来て逢った時、「調先生、私は酒で助かりました」と当の本人がそういうんです。元気な顔をしていました。

もう一人は精神科の高瀬教授ですが、精神科では治療のためにアルコール注射をすることがあるそうですね。先生は初めの間は被爆者にブドウ糖液を注射しておられたが、皆コロコロと死んだそうです。そのうちブドウ糖がなくなったので困っていると、それでも注射を頼むので、仕方なくアルコールを注射したところ、その患者が翌日来て、「先生、昨日の注射をして下さい」(笑い)と言ったそうですが、その患者は不思議に助かったそうです。

そういえば私の場合もよく効いたようだったから、あるいはアルコールが効くのではないかと思って、教室の本田君に鼠を使って実験をやって貰ったんです。そしたら生命が延びたり、生存率が少し高くなるんです。その後広島のABCC(原爆傷害調査委員会)に行って長崎の原爆の話をした時に、治療法としてはビタミンCや柿の葉がいいと言っていたけれど、私自身の経験ではアルコールが一番効いたようだ。輸血よりも効くんじゃないかと自分は思うと言ったら、軍医たちがワーッと歓声をあげて、「これはいいことを聞いた」と大喜びでした。(笑い)

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最後にポイントをまとめます。

  • 長崎への原子爆弾投下時に、アルコールを飲んだことで助かったのではないかとされる事例が複数存在する。
  • 事実としては存在するが詳細は不明。放射線障害の低減効果もどういったメカニズムで効くのかは不明のため、効いたらいいくらいの気持ちでいたほうが懸命。アルコール(エタノール)はよくないので、日本酒などがお勧め。また当然のことながら飲み過ぎは厳禁。1~2合程度の摂取が良いと思われる。
  • 筆者がお勧めしたいのは、大人でも子どもでも食べられる酒粕を使った料理。子どもには、アルコール分を飛ばせばよい。ただ、アルコール分がほとんど飛んでしまうので、どれくらい効果があるのかは不明だが…。

*医師の証言 長崎原爆体験 調来助、吉澤康雄 著 東京大学出版会

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