年末年始の話をもう少し。
年明け早々、初心に帰るかと思いつついたところ、なんとなく、葉隠や武士道といったイメージが去来して、昔買った本だとかを見つけて読んだり、近年あまり見ない映画なども見たりして、静かな正月を過ごしていました。
ということで葉隠、武士道ですよ。
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「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」で、有名なやつです。
この有名な一説が引用されることが多いのだけれども、時々読むと、他にもいろいろと面白い教えがあって、読むたびに違った面が出てきて面白いのです。
ということで、本年のはじまりは武士道です。
葉隠入門 三島由紀夫 新潮文庫より、引用します。
○人生、あわててはいけない
皆人気短(きみじか)故に、大事を成らず仕損ずる事あり。いつまでもいつまでもとさへ思へば、しかも早く成るものなり。時節がふり来るものなり。今十五年先を考へ見候へ。さても世間違(ちが)ふべし。未来記などと云ふも、あまり替りたる事あるまじ。今時御用立つ衆、十五年過ぐれば一人もなし。今の若手の衆が打つて出ても、半分だけにても有るまじ。段々下り来(きた)り、金払底すれば銀が宝となり、銀払底すれば銅が宝となるが如し。時節相応に人の器量も下り行く事なれば、一精出(ひとせいだ)し候はば、丁度御用に立つなり。十五年などは夢の間なり、身養生さへして居れば、終(つひ)には本意を達し御用に立つ事なり。名人多き時代こそ、骨を折る事なり。世間一統に下り行く時代なれば、その中にて抜け出るは安き事なり。(訳)だれでも、短気な心を起こして、大事なことを仕損じてしまうことがある。まだまだと思ってさえいれば、逆に早く望みを達せられるものなのである。つまり時節が当来するのだといえよう。いま仮りに、十五年さきのことを考えてみなさい。世間の様子はちがってしまっていることだろう。未来記などというものもあるが、あまり変わったことは書いてないようだ。いま役に立つ人も、十五年過ぎれば、ひとりもいなくなってしまうかもしれない。現在の若い人にしても、半分ぐらいしか残ってはいまい。だんだん世の中が駄目になって、金が底をついてしまえば、銀が宝となり、銀がなくなってしまえば、銅が宝となるようなものである。ときの流れとともに、人間の能力も下降していくことなのだから、ひとつふんばって努力するなら、十五年過ぎてからちょうどよく役に立つようになるものである。それにしても十五年などというのは、夢のまのようなもので、からだに気をつけてさえいれば、ついには本願を達成してお役に立つようになる。名人の多い時代はかえってたいへんなのである。世間一般が駄目になっていく時代であれば、そのなかから抜きんでることはたやすいはずである。
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むかし、タクラマカン砂漠の果てで会った人に、何か一言書いてくれとノートを渡したところ、こう書かれたことがありました。
あわてるな。
やっぱりあわてず騒がずですねえ。
もう1つ、再び葉隠入門 三島由紀夫 新潮文庫より、引用します。
○「人間一生、まことにわずかの事なり」
人間一生誠に纔(わづか)の事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚(おろか)なることなり。この事は、悪しく聞いては害になる事故、若き衆などへ終(つい)に語らぬ奥の手なり。我は寝る事が好きなり。今の境界相応に、いよいよ禁足して、寝て暮らすべしと思ふなり。(訳)人間の一生なんてみじかいものだ。とにかく、したいことをして暮らすべきである。つかの間ともいえるこの世にあって、いやなことばかりして苦しいめにあうのは愚かなことである。
もちろん、このことはわるく解釈しては害になることなので、若い人などには、けっきょくのところ話すことのできなかった秘伝といったものである。私は寝ることが好きだ。現在の境遇に応じて、家にとじこもり、寝て暮らそうと考えている。
これだやっぱり。
武士道の秘伝は、寝ること。
かつて戦争の焚きつけに利用された葉隠には、上記のような面もあると。
ところで、昔見た映画のなかに、葉隠を読む殺し屋の話があって。
字幕はないのだけれでも、こんなやつです。
筆者はDVDを買ってしまいましたよ。
ジャームッシュが好きだったんだよねえ。
今も好きですが、最近は見てないですねえ。
かつてよく見たフランス映画社の映画を思い出しました。
たしかフランス映画社自体が、無くなっちゃったんですよね。
残念だなあ~。
ということで、あわてずに寝て暮らす。
今年は、みんな黙って、武士道。
無理せず、したいことをして暮らしましょう。
(新年からこれか!?)
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