だいぶ日にちが開いてしまいましたが、京都府綾部の話。
古民家がずいぶん残っていました。いいですね。
住んでみたいです。
本当に。
街(というか村)が、お伽話、まんが日本昔話に出てくる感じ。
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古民家が立ち並んで。
田畑もあって美しいです。
朝は霧が立ち込めたりして。
綾部駅前の不動産屋さん、原田商店さんにお伺いしたところ、原田社長が直々に案内してくださり、古民家など物件を見させていただきました。
その節はありがとうございました。
というのも、塩見さんのラジオ番組の動画を、ネットで見ていたんですね。
そこに原田社長が出演されていまして、その話をしました。
原田商店さんは、古民家を現代風にリフォームしたり、賃貸のお試し古民家を取り扱ったり、綾部や隣の福知山で、土地の文化を守るような不動産物件を扱われています。
ほかに、古民家展示場を見せていただいたり。
で、私は考えました。
ここには戦争の爪後も、災害の爪後も無かったのだなと。
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何を隠そう、私は、生まれも育ちも神奈川・川崎。
ここはもう、戦争で何もかも全焼なので、若い植えたばかりの木しかなくて、割合最近まで、蝉さえ鳴いていませんでした。
実家は、駅から何キロも離れていると思いますが、焼けてしまって何もなく、敗戦当時は家から汽車が走っているのがよく見えたそうです。
昔、海岸沿いには、重化学工業、重電メーカーが多かったです。
今も部分部分は残ってますが、だいぶ移転して無くなってますね。
祖父は、かつて電気屋で、潜水艦の電器配線をしていたそうです。
とにかくヤクザ者が多かった。
ガラも悪いし(昔ほどじゃないけど)。
そしてこんな事件とか。
人が多すぎると、仕方ないのかもしれない。
川崎、蒲田、鶴見あたりの、海に近いほうは、まあ下町ですよね。
工業地帯で、勤務終わった工員さん?が来る立ち飲み屋があったり。
それが今や、マンションが立ち並んだりして、住宅がいっぱいです。
今の川崎アゼリア(地下街)は、昔、地下道でした。
おしっこ臭くて。
傷痍軍人がすわっていたのを、おぼろげに覚えてますよ。
ショーイグンジンなんて、皆さん分かりませんよね。
そんな川崎に帰った時の娯楽は、やはり銭湯。
小学生くらいになると、みんなで出かけたり。
好きな絵本で「おふろやさん」というのがあり、今でも大好きですが、まんまでしたよ。
で、銭湯というと、やはり墨が入った方々もいて。
いつだか、子どもと行ったときに
「あの人、背中に絵が書いてあるねえ~」
「桜の絵だねえ~」
銭湯でその声が響いたときは、ちょっと焦りましたね。
というわけで、綾部と原田商店さんの話から、故郷川崎の話になりましたが、もう都会は十分ですね。
やっぱり田舎で暮らしたいです。
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