311の震災後、福島原子力発電所が爆発した際、まずは過去の放射能汚染を辿り、生き残った事例がないか探しました。
すぐに見つかったのは、長崎の医師、秋月辰一郎さんの例でした。
著作は「死の同心円 ―長崎被爆医師の記録」*です。
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秋月医師は、食養や食育の祖と言われる明治時代の陸軍軍医「石塚左玄」を尊敬し、その食事療法を継承して発展させた「桜沢如一」の桜沢式食養学を学んでいました。そして、さらにそれを独自で工夫して、秋月式栄養論という食養医学を作っていたということです。
この桜沢如一が、海外ではジョージ・オーサワと呼ばれたマクロビオティックの祖です。
秋月医師は、「玄米、野菜食、海藻の味噌汁の三つで食物療法をやりたい」と言い、医長として病院で食養医学を実践していました。
そんな中、長崎に原爆が投下されます。
秋月医師は、爆心地から1400メートルの病院で被災しました。
浦上第一病院、現・聖フランシスコ病院です。入院患者は70名とありますが、幸いにも原爆の爆風による死者は出ませんでした。
しかし、秋月医師は無傷の人が突然死んでいく症状に遭遇します。
原爆がまき散らした放射能による、のちに原爆症と呼ばれる症状でした。
当初、秋月医師は、原爆の直撃を受けなかった軽傷者の中で、歯ぐきから出血したり、血便などの症状が出て、無傷の人が突然死ぬ恐怖に困惑したようです。赤痢や紫斑病の症状に似た患者が増加してきましたが、原因が分からず対処できなかったということです。
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やがて、秋月医師にも、放射能症に苦しむ日々が訪れます。そしてその症状が、かつて放射線教室に勤務していた際に苦しめられた、レントゲン・カーター(レントゲン宿酔)に似ていることに気づくのでした。
私は想像と推理によってこれを「レントゲン・カーター」に似たものと断定し、私がそれに苦しめられたとき、よく食塩水を飲んだことを思い出した。レントゲン・カーターの患者に、生理食塩水よりすこしおおく塩分をふくんだ水を飲ませることは、レントゲン教室で働いている者の常識であった。
私には原子生物学の知識はなかったが、
「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」
と主張し、職員に命じて強引に実行させた。
秋月医師は、信奉していたミネラル栄養論を治療に実践し、レントゲン・カーター(レントゲン宿酔)に似た自覚症状を感じながらも、原爆症を発症しませんでした。
結果として、病院の職員や患者も、ついに原爆症を発症せず生きのびたのです。
秋月医師のミネラル栄養論は、玄米食、野菜食、味噌汁から出発し、とくに強調されているのが、揚げ豆腐とわかめとを実にした味噌汁だといいます。これらはつまり、従来、日本人が食べてきた食生活そのものです。
こうした食生活をするだけで、原爆症を発症しなかったという事実があることに驚かされます。
この事例は、食を見直しすることで、放射能汚染下でも生存可能な場合があることを教えてくれます。
* 死の同心円 ―長崎被爆医師の記録 長崎文献社
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