広島の原子爆弾被爆者で、爆心地から750メートルで助かった方の手記*に、回虫を吐きだしたのちに回復したという話があります。
推測ですが、いろいろな生存に必要な条件が重なったことと、回復の傾向に反転する直前の「腸内もしくは体内の放射性物質を含んだ回虫」を吐き出したことが良かったのではないかと思われます。
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広島市の資料によると、爆心地から1.2キロメートル以内にいた人は、その日のうちにほぼ50%が死亡。それよりもさらに爆心地に近い地域にいた人は、(その日のうちに)80~100%が死亡したと推定されています。
以下、備忘録として載せておきます。
手記*より抜粋してまとめたものです。
- 爆心地から750メートルを走行中の、超満員の広島電鉄市電の車内で被爆。満員の車内にいたため、受けた放射線が弱かったのではないかということ。しかしながら、著作には、同乗の母(のち死亡)と激しい吐き気に襲われ嘔吐したとある。嘔吐は急性放射線障害の代表的な症状。
- 8月16日~8月17日に、髪の毛が抜け、40度の高熱が続いた。9月1日に母が死亡。母は体中が紫色になって、歯ぐきから出血して死亡した。
- その後、9月の上旬に、洗面器に半分ほどの真っ白なうどん状の回虫(腸内に住む寄生虫と思われる)を吐き、以後回復した。
- 当時珍しかった鋼鉄製の電車内で被爆したこと。また、被爆した瞬間に福屋百貨店という、当時の広島で一番高い八階建ての建物の真横にいたこと。その日のうちに広島の爆心地を離れたこと。回虫がお腹にたくさんいたこと。放射能を含んだ水を飲んだが吐いてしまったことなど、が良かったのではということ。
- やはり回復の傾向に反転する直前の「腸内もしくは体内の放射性物質を含んだ回虫」を吐いたことが良かったのではないかと思われる。
* 「ぼくは満員電車で原爆を浴びた 11歳の少年が生き抜いたヒロシマ」米澤鐡志 語り、由井りょう子 文 小学館
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